経済学者神野直彦

分かち合いの社会

新自由主義経済の市場原理は、強いものが勝ち続けることで人間関係を崩す経済だ。労働市場では、さまざまな人間関係を守るためのルールが必要。市場の競争原理もふまえたうえで、人間は「お互いに助け合って手と手を繋ぎ」生きていかなければならない。

日本の構造改革はこれでいいのか!

月尾 神野さんは日産自動車に10年以上勤務された後、大学や官庁という官側に移られたわけですが、これまで官に対して厳しいことを言ってこられました。
その一端を『「分かち合い」の経済学』(岩波新書)という著書に書かれていますが、現在の日本の状態をどうご覧になっているかについておうかがいしたいと思います。
日本は15歳以下の人口比率が世界で一番低く、反対に65歳以上の人口比率は世界で一番高い国です。財政では、政府の長期債務残高が1千兆円を超え、そのGDP比率は250%以上になっており、圧倒的に世界一という恐ろしい国です。

神野 日本は構造改革と言いつつ、その改革方法が間違っています。アクセルを吹かせているだけだから、さまざまな矛盾が噴出している。このまま突き進んでも日本に発生している問題は解決できません。
この変革するべきときに、国政はスキャンダルに時間をとられすぎています。「タイタニック号がこのまま進めば氷山に衝突する」という危機に、「甲板の掃除をさぼったのは誰だ」と言い争っているような状態です。どういう方向に日本を変えていくかというビジョンを描いたうえで、現実の問題を整理することができていません。
スウェーデンでは子供たちに「正しく整理すればそこには答えの半分が含まれている」と教えています。ビジョンを描いて国民に示さないと、国民は問題の重要さを理解できません。

月尾 現在の日本は国会でもスキャンダルについての応酬ばかり、マスメディアもその詳細の報道が多く、明治以来の国家の大転換を検討する重要な課題に取り組んでいません。
小泉内閣の構造改革や、それを引き継いだ安倍内閣の政策も問題があります。小泉内閣の「聖域なき構造改革」による独立行政法人や政府系金融機関の統廃合、道路公団の民営化などは一定の効果がありましたが、郵政民営化は通信基盤や地域構造を荒廃させました。

神野 民間に任せていくときに、何を市場に任せるのかをあまり考えずに、市場の領域を単純に拡大したことが問題です。それぞれに違う対応が必要ですが、その違いが加味されていない。A地点からB地点に行くためにはエネルギー効率も最適でないといけないのに、最適でない経路を選んでいる。それを反省せず、金儲けの領域を単純に拡大しようとした政策でした。
この市場の領域を拡張する過程で格差が拡大し、人間と人間との関係をすり潰しています。「タイタニック号が氷山に衝突する」というときに、郵政を民営化しても社会の根本的な問題が解決するわけはない。歴史的には日本の郵便事業は民間が行っていました。江戸時代には嶋屋と京屋が大手で、市場原理で配達をしていた。ところが福沢諭吉がフランスで見聞し、「これがユニバーサルデザインだ」という制度を導入したのが郵便事業の最初です。「通信はユニバーサルに実行していく必要がある」ことが基本になっています。
郵便貯金制度はイギリスの政策に習いました。(ウィリアム)グラッドストン時代に、一部の大金持ちが国債を握っていたため、労働者のための政策を実行しようとしても反対されて実現できない。そこで国民一人一人に国債を持ってもらおうと考え、全国にある郵便局に預金してもらうことで国民に国債を買ってもらうようにしました。国債保有に上限を設けて金持ちの政治的な発言力を弱めることと一体にした制度です。 もちろん金融業界は反対しますが、1920年代の大不況が起きたときに郵便貯金の金利が高く、都市銀行の金利が低かったため、イギリスでも日本でも資金が銀行から郵便貯金に流れました。そのときにイギリスでは、銀行の金利引き上げ要求に対して「民主主義のために、それはできない」と否定しています。
一方、日本は1920年代に郵便貯金の金利を引き下げているのです。1980年代になって世界的に郵政民営化が話題になりますが、イギリスは実施していません。民主主義を維持するためです。ところが日本は民営化しました。金持ちに国債を握られれば発言力が強くなるわけですが、その結果、民主主義がどうなのかという論点が小泉内閣では抜け落ちてしまいました。

月尾 私はカヌーやスキーをするため全国の僻地に行きます。山奥では銀行は早々と撤退しているが郵便局は残っている。地域の人たちが手紙を出すためには当然ですが、郵便貯金や簡易生命保険の窓口にもなっている。地域の生活を維持する拠点は郵便局だけです。民営化され減少しましたが、約2万は残っている郵便局が地域を維持しています。

神野 その通りで、都市銀行がひとつしかない県もあります。だから郵便局が地域では金融機関の役割をはたしてきました。郵政民営化以前、郵便局は経営的に悪い状態ではなく、問題は大きなビルには郵便局を設置しないといけない仕組みによって費用がかかったことが影響しました。
スウェーデンでは郵便局が地域の高齢者への声掛けの拠点になっていますが、日本ではそういう重要なシステムを失いつつあります。

労働政策の転換期

月尾 小泉内閣を引き継いだ安倍内閣が新たな規制改革を進めています。労働人口が減っていく問題への対策として高齢者や女性が働くことのできる施策を実施し、人口減少をくいとめるべく出生率を上げる政策も検討しています。日本の出生率は世界200ヵ国中の下から15番目程度です。安倍総理が子供を産みたいと希望する女性がすべて産めばという「希望出生率」を1・80にするという政策を発表していますが、希望しても産めないのが現実です。
国会でも問題になっている「働き方改革」は同一労働同一賃金、高度プロフェッショナル制度を提案していますが、それは格差を拡大する方向です。
このような規制改革を進めると言いながら、加計学園の問題に象徴されるように、一部の人に有利になる不公平な規制改革になっている。これは正しい規制改革ではないと思いますが、どうお考えですか?

神野 現在は大きな産業の転換期にあります。日本もヨーロッパもアメリカも、どういう労務管理政策、労働市場政策を行なったらいいかをわかっていません。日本も日本的経営を基礎にした「メンバーシップ型経営」をやめて西欧の「ジョブ型経営」に移行しようとしています。重工業時代の賃金は職務分析をやればよかったため、西欧型の労務管理もうまくいったし、日本型の労務管理もうまくいっていました。ところが経済構造が大きく変化した現在は両方ともうまくいっていません。
ジョブ型だと格差や貧困が拡大する。メンバーシップ型だと「長時間労働の問題」、「正規と非正規の賃金格差の問題」、「高齢者と女性の労働市場の参加の問題」などが浮かび上がる。西欧型では長時間労働は生じていないけれど、格差と貧困の増加は大きな問題になります。
結局、西欧型の労務管理政策や労働市場政策を導入したことで、格差や貧困があふれ出てきたというのが現在の日本です。経済構造の転換に合わせてサービス業や知識集約型の労働が増えてきたときに、賃金や仕事の決め方をどうすればいいかと考える必要があります。日本は新しいものを創り出す苦しさに耐えていないのです。
そのためには「現在の日本の労働市場の規則を変えればいい」という方法がひとつ。もうひとつは労働市場と生産物市場は原理が違い、労働市場には人間の命や生活を守るための原則があることを確認することです。それにもかかわらず、これが外されそうになっていることが非常に危険な点だと思います。

新自由主義経済の問題点

月尾 原則が外されそうになったという背景については『「分かち合い」の経済学』の最初に書いておられますが、簡単に言うと、パクス・ブリタニカ時代の古典経済学によって支配されていた世界が、第二次世界大戦後にパクス・アメリカーナになって新自由経済主義すなわち市場原理主義になり、強いものが勝つという社会に世界全体が移行した。日本もアメリカの圧力もあって市場原理主義に変えたところ格差社会が拡大してきた。その結果、生活保護世帯は第二次世界大戦直後と同じくらいに増えるという社会になっています。
この新自由主義経済の問題点というのはどのような点にあるのでしょうか?

神野 新自由主義的な考え方というのは、基本的にはアングロサクソン的です。ヨーロッパの場合、第二次世界大戦は福祉国家・ヨーロッパモデルで社会を維持していました。それがオイルショックで行き詰まったときに、ポスト福祉国家の時代を作らなければいけなくなり、イギリスやアメリカが主張したのが新自由主義的な考え方でした。世界的な秩序についていえば、ドルを基軸通貨にした固定為替相場制から変動為替相場制へと転換し、国境を越えて自由に経済活動ができる社会にしようとしたわけです。
しかし、市場は人間の関係を崩します。国境を超えて大きくするのであれば、本来は人間の生活を守るための規則を作らなければいけなかったのですが、実際には、それがないまま壊すことになってしまった。アングロサクソン型の新自由主義経済は完全に行き詰まったと思っています。
新自由主義経済を主張したアメリカとイギリスが、現在、反グローバリゼーションの旗を掲げています。自己の論理を自ら否定し始めたのです。
その問題点はコミュニティが崩れることです。ブレグジットでも伝統的なイングランドの共同体が崩れてしまう可能性があります。白人を中心としたアメリカの伝統的なコミュニティも崩れ去るのではないかと言われています。自らの政策の行き詰まりです。
ただし、ヨーロッパはヨーロッパの方法があると考え、どうにか福祉国家を修正しながら維持しようと模索したのですが、これもうまくいかず歴史を混乱させている。私たち日本は苦しくても、未来の政策をどう作ればいいかを、労働政策や労務管理政策と同じように作り出していかなくてはならない時代です。
古典派経済学の時代は市場が小さく、労働者も自分の家でパンを焼いていたし、家族の規模も大きかった。それがなくなりつつあるときに福祉政策を進めたから崩れたのではなく、産業構造が変わり、誰もが働きに出るようになって社会が崩れはじめました。
今後、サービスや知識集約産業の時代に変われば、さらに違った形で家族やコミュニティの機能がおかしくなる。それを維持する支援が必要な時期に、その政策が全く示されていないのが現状です。

スウェーデンの分かち合いとは

月尾 著書のなかでアングロサクソン的な制度の破綻に対して北欧諸国は新しい方向を目指しているということを強調しておられます。
代表はスウェーデンの「オムソーリ」と「ラーゴム」です。これはどういう仕組みで、日本に入れるとどうなるかをご紹介ください。

神野 オムソーリは英語ではソーシャルサービスと訳されています。対人社会サービスのことです。福祉とか医療だけでなく教育も含み、広い意味での対人社会サービスのことをオムソーリと呼び、スウェーデンでは、それが重要だと考えられています。
オムソーリの本来の意味は「悲しみの分かち合い」で、「悲しみの分かち合いには教育も入っていますか?」と聞くと、「そうだ」と言われる。古めかしい言葉を使えば、運命共同体です。悲しみを分かち合ってこそ、私たちは生きていけるのだという考えです。
市場の競争原理を受け入れながら、「人間はお互いに助け合い、手と手を繋ぎ合って生きていかなければならない」という考え方が同居している理由のひとつがラーゴム「ほどほど」「中庸」といった価値観です。相手が出てくれば引くけれど、相手が引いていけば近付くということにより、巧みにバランスをとることです。極端に豊かになることも嫌うけれど、極端に貧しくなることも嫌う価値観が根付いていて、うまくバランスをとろうとする。それが「悲しみの分かち合い」の仕組みで、情報技術などの効果を活かしながら、社会全体を運営していくことです。
ただし北欧諸国には気候の厳しさがあります。どうしてスウェーデン人は団結するのかというと、「自然が厳しいし貧しいから」だと彼らは言います。スウェーデンで出会った高齢者が「第二次世界大戦後は靴が一足しかなく、礼拝に行くときはその一足の靴を家族交代で使っていた」と言われました。しかし「若い人たちは靴を共有した当時の精神を忘れはじめている」とも言われました。
僕が感激したのは、国民が自分たちで問題解決する運動をすることです。19世紀末にスウェーデンは貧しくて、3分の1の国民がアメリカに移民するほどでした。移民したスウェーデン人たちは禁酒運動を起こし、1920年代に禁酒法が成立しました。アメリカ人はそのようなことは決してしません。
スウェーデン人たちは貧しさのなかでお互いに学び合おうと教育運動もする。酒を飲んでいては発展しないので、禁酒してみんなで学習サークルを作り勉強しようというわけです。「財産と教養がないと選挙権を与えない」という制限選挙になっていたので、「それでは教養を身に付ける」と教育運動を起こし、自ら普通選挙を実現しました。
このスウェーデンの国民運動の象徴がアルフレッド・ノーベルの死後に創られた「ノーベル賞」です。ノーベル賞は貧困のなかから登場したと言えます。そして自分たちスウェーデン国民を形成する象徴を残そうと、ノーベル賞の表彰式を行うストックホルム市役所を建設しました。
それまでのスウェーデンの建物はゴシックやバロックなどヨーロッパの様式を真似ていましたが、スウェーデン独自の建築様式を19世紀の後半から23年間かけて創ったのです。
各委員会の部屋ごとに木製の像が置かれており、スウェーデン人がどのような価値観を後世に伝えたいかを如実に表しています。その像は政治家ではなく、市役所を作った大工などスウェーデンの建築様式を残してくれた人々です。

日本はこの世の天国だった ~日本にもオムソーリはあった

神野 恩師の宇沢弘文先生に言わせると、日本にも以前は助け合いがあったが、高度経済成長期に失われはじめた。明治時代に日本に来た数多くの外国人たちが日本についての印象を残していますが、どこにも書かれている特色が三つあります。ひとつは優しさ。日本人はどうしてこんなに優しいのだろう。フランシスコ・ザビエルもそう書いています。それからもうひとつは謙譲。どうして日本人は自己主張しないで譲るのだろう。もうひとつはゆとり。日本人はどうしてこんなに心にゆとりを持っているのだろう、と感心しています。これらは高度経済成長期に、それでは競争に負けると言われて失っていったものです。
宇沢先生の議論でいくと、新しい情報技術や新しい産業や新しい医薬品などは、知識の分かち合い・与え合いから生まれる。次の社会が知識を基盤としたものであれば、そういう絆を作っていくことが重要だということです。
スウェーデンの歴史を見ると、過酷な条件であっても手を取り合いながら生きてきた。スウェーデンでは、人は自立すればするほど連帯する。日本人は自立すると連帯しない。そこが決定的に違っています。
これはコミュニケーションにも通じる話で「自助論」を読んでいくと、自助には共助も含まれています。いかに友達を作るかが自分で生きることにとって重要で、その媒介として情報が使われる。その精神を背景にしてノキアやエリクソンが生まれている。情報を動かせば人と人との結び付きは強くなるということです。
彼らが言う「情報を動かすことによって自然資源は節約できる」とか「情報を動かすことによって人間と人間の関係は強まる」という考えの基盤となっているのが、「結び付きを強めていくほど自立できる」という考えです。「自立すればするほど、ほかの人との結び付きを求める」という価値観が、かつての日本にもあったような気がします。

月尾 明治維新前の江戸の社会は基本的に分権社会でしたから、オムソーリやラーゴムを具現化していた社会です。
渡辺京二さんが書かれた『逝きし世の面影』は江戸末期から明治初期に日本に来た外国人の手記や手紙や日記から、当時の日本についての見解がまとめられています。要約すると「世界に唯一存在する幸福な社会は日本だ」ということです。
その一人でタウンゼント・ハリスの通訳であったヘンリー・ヒュースケンは「この幸福な(日本の)情景が終わりを迎えようとしており、西洋の人々が重大な悪徳を持ち込もうとしているように思えてならない」と150年前に書いています。その文章を読んだとき、なぜ100年や150年先のことを外国人が見通せたのか理解できませんでした。
しかし、数万年前からオーストラリアに生活する先住民族アボリジニの生活を取材に行ったときに理解できました。地方の小さな飛行場からジャングルの中や砂漠を車で数時間走って到着した海岸に、40~50人のアボリジニが生活している集落がありました。老人も子供も海岸で一緒に寝転がって、長老が「腹が減った」と言うと若者が海に飛び込んで魚や蟹を獲り、焚火のなかに入れてみんなで食べる。そして夕方になると家に帰っていくという生活で、地上の楽園と表現できる生活でした。
ところが酋長に「この地域を今後どうされるのですか?」と聞いたところ、「現在、外国の実業家と交渉して、ここにホテルを建てる予定だ。そしてインターネットを引いて、村民が使えるようにする」ということでした。それを聞くと、我々には近い将来が想像できます。立派なホテルができて観光客が来ると、これまで浜辺で一日中寝そべっていればよかった若者が蝶ネクタイを締めてお客さんにカクテルを持っていくような生活になるのです。
進歩という概念を間違って理解し、立派なホテルを建て、最新の技術を導入すれば新しい社会になると思っている。まさに150年前の日本にタイムスリップした感じがしました。ヒュースケンがなぜ日本の未来を見通せたかというと、すでに失敗を経験した社会から来ていたからです(笑)。

日本は北欧を見習えるのか

月尾 神野さんはNHKの番組でスウェーデンでは「コンタクト・ファミリー」、フィンランドでは「ファミリー・リハビリセンター」という制度があり、地域でコミュニティを維持する活動をしていると紹介されています。
国連の「世界幸福調査」の最新版を見ると、幸福の順番は「1番フィンランド」「2番ノルウェー」「9番スウェーデン」と北欧諸国が上位にあり、日本は残念ながら54番です。
コロンビア大学のジェフリー・サックス教授による「世界幸福報告書」でも「4番ノルウェー」「5番フィンランド」「12番スウェーデン」で、日本は53番です。
エイドリアン・ホワイトの「人生満足度指数」では「1番デンマーク」「6番フィンランド」「7番スウェーデン」で日本はなんと90番です。日本はこれらの国々を参考にできるかについてうかがいたい。
スウェーデンの人口は980万人、フィンランドは550万人、ノルウェーも530万ですから、1億人以上の日本が1千万人以下の国家の制度を導入できるかどうか、もしくは基本的に適合するのかについてご意見をうかがいたいと思います。

神野 『不確実性の時代』の著者であるジョン・ケネス・ガルブレイスがアメリカを批判するとき、いつもスイスの例を出します。それに対する反論はひとつしかありません、人口が少ないからできるのだろうという理由です(笑)。人口が少ない国に問題がないのはあたりまえで、それを基礎にした考え方は根本的に誤っているというわけです。
ガルブレイスが言うように、スイスの民主主義は社会に問題が起きたとき、どうしたらその問題を解決できるかと自分たちで考える。ところがアメリカでは問題があると、誰かいいリーダーはいないのかとなる。アメリカの政治は劇場社会の政治、つまり人々が政治を観客として見ているだけです。野球やフットボールなどスポーツを眺めているかのように政治を眺めている。だから政治の本質には触れていないという意見です。
参加しないことが悪いのであって、人口の多い少ないという問題ではないということです。しかし1億人を超える国で経済的に社会保障をうまく運営している国は少なく、1億人くらいの国が制度として社会保障を維持する限度であると考えられています。例えばドイツは8000万人ですが、社会保障を制度的に取りまとめる地域を8つに分けている。1000万人ごとに把握するなど分権すればできる。全体が小さくならなければできないわけではないのです。
「小さい国だからできる」という人ほど、自分の国の人口が減少することを恐れている。それは人間を労働力や兵力という手段としてしか見ていないからです。
スウェーデンの人たちは人間を目的とする社会を作ろうとしていますが、日本は人間を手段として見ています。人間を手段とする社会にとって人口減少は恐怖だと言っているような気がしてなりません。しかし人間を目的とする社会であれば、人口は歴史のなかで増減しますし、さまざまな困難にぶつかったとき、互いに手を繋ぎ合いながら解決していこうとする。そう考えると、少ないからさまざまな政策が可能であるとは言えませんし、少ないことが恐怖になる理由も説明できません。
日本は労働力不足の状態になっていますが、賃金は停滞気味です。その最大の原因は「女性と高齢者が労働市場に参加しているから」なのです。経済学的には自然失業率がある程度小さくなれば完全雇用状態になって賃金は上がるはずです。それでも上がらないのは、女性と高齢者が低賃金で働いているからということになります。それが逆に所得が上がらない原因になってしまっています。
技術革新や情報技術で悩むなら、人間がより人間的になる社会をどうやって築けばいいかと悩めばいいのです。人間を目的とする社会を見忘れているのではないかという気がします。

明治150年の否定から出発する未来

月尾 最近「明治150年の否定から出発する未来」という文章を書きました。今年は明治維新150周年ですが、維新の時に作った国家の制度が維持されたままであるから、新しい時代に対応できないのではないかと思います。これからの日本をどう変化させていけばいいのかについてご意見をいただきたいと思います。
まず「小さい単位にすればいいのではないか」という考え方があります。明治時代に廃藩置県を実行し、約270の諸藩を50くらいの道府県にまとめましたが、江戸時代と違うのは明治政府が支配し、官選知事を送り込んで中央政府が管理する国家にしたことです。長洲一二神奈川県知事が地方分権を提唱されてから40年近く経過しましたが、いまだに実現していません。この廃藩置県以来の国の体制を見直すことが必要だと思います。
殖産興業も明治政府の重要政策でした。これは素晴らしい政策で、一時的にせよ、造船、鉄鋼、半導体、自動車など世界一になる工業分野が出現しました。しかし情報社会に変化した時に対応できませんでした。スウェーデンにはエリクソン、フィンランドにはノキアのような世界規模の情報産業があるのに、日本は情報装置産業も情報サービス産業も出遅れています。殖産興業は二次産業の発展には貢献したが、現在では見直さなければならないと思います。
アングロサクソン文明が優秀だと文明開化を推進しましたが、世界が評価している日本文化は文明開化以前の文化です。
明治維新の政策を否定的に理解し方向転換する視点で明治150年を振り返るべきだと思います。

神野 ジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』の第7章でも日本をほめたたえています。それは「自然を守り切った江戸時代の政策」についてです。簡単に言うと「城を建てさせなくした」「里山を利用して緑を守った」ということです。ほかの島国が衰退していくなかで、それらの政策が日本文明を保てた理由だと書いています。
スウェーデンが小さいだけではなくて、重要なのはコモンズ(共有地)が生きているということです。江戸時代にあった入会地など日本のコモンズは明治時代に砕かれました。日本の言葉でいうと「自然村(しぜんそん)」が生きていない。自然村を壊して、それとは関係ない区画で行政村を作ってしまった。自然村が持っていた互いが助け合う機能が失われるような政策を導入したのです。
第二次世界大戦後の世界体制が石油危機の時期から変わったのですが、そのなかのいくつかは、すでに終わりの時代に来ています。
明治維新の仕組みも同じです。市民革命以来の工業社会も終わろうとしていて、下手をすると人間全体の終わりも考えなければいけないような、終焉からの再創造を考えなければいけない厳しい時代に、私たちは生きているのです。
殖産興業、富国強兵は近代市場社会になる前の重商主義国家の政策で、国家を企業のように経営しようという発想です。人口という言葉はウィリアム・ペティなど重商主義者が作った言葉ですが、人口を増やすことが殖産興業、富国強兵のひとつの基盤になると考えられたわけです。
アメリカの独立宣言のなかに「population(ポピュレーション)」という言葉が出てきますが、日本では「植民」と訳しています。人間は一人ひとりかけがえのない存在なのに、没個性的に把握して量として掴まえるのが人口の概念です。
そういう概念が出てくるのが重商主義政策で、その政策は「run the state like business」、つまり国家や社会は企業とは別の原理で動かなければいけないのに、市場で動くものと同じような論理で維持管理しようというのが重商主義政策です。
トランプ大統領が主張しているアメリカの利益は貿易収支差額だということですが、これは重商主義の考え方そのものです。
私たちは日本が本来持っているよいところを伸ばすべきです。教育でも一人ひとりのよいところを伸ばしていくと自然と悪いところが消えます。幸福国家ブータンもそうですが、本来のよいところをもう一度見つめなおして、人間の歴史に日本人のよさをもって貢献しないといけないと思います。

月尾 明治150年の否定から出発する未来という考え方の原点は全国各地で独自の活動によって元気になっている地域を訪問したときの実感です。地域には重商主義以前の時代の精神を維持した社会が数多く存在しており、そこから新しい日本を作る芽も次々出ています。
このスマートライフ研究所では、そういう新しい社会を作ろうと提言していきますので、今後もご支援いただければ幸いです。

  • グラッドストン

    1809年~’98年。ヴィクトリア期中期から後期にかけて、自由党を指導して4度にわたり首相を務めた。生涯を通じて敬虔なイングランド国教会の信徒であり、キリスト教の精神を政治に反映させることを目指した。多くの自由主義改革を行い、自由貿易政策の伸張や第3次選挙法改正を実現。アイルランド自治法の成立をめざしたが保守派の抵抗で失敗した。

  • 聖域なき構造改革

    小泉内閣(2001~’06年)が掲げた経済政策スローガン。発想は新自由主義経済派の小さな政府論より発したもの。郵政事業の民営化、道路関係四公団の民営化等、政府による公共サービスを民営化などにより削減し、市場にできることは市場にゆだねること、いわゆる「官から民へ」、また、国と地方の三位一体の改革、いわゆる「中央から地方へ」を改革の柱としている。

  • 『「分かち合い」の経済学』

    2010年に岩波書店から刊行。著者は神野直彦氏。小泉構造改革に象徴される新自由主義的な経済思想を一貫して批判し、新自由主義的な経済思想を何故批判するかを示したうえで、人間的な経済学の立場とはどうあるべきかを考察した。新自由主義的な経済政策に対するのはケインズ派ではなく独特の経済学であり、それを「分かち合い」の経済学と呼んでいる。

  • 希望出生率

    希望出生率は、結婚をして子供を産みたいという人の希望が叶えられた場合の出生率である。現実には、仕事や家庭の事情で子供が産めなかった、あるいは、第2子、第3子を諦めたという人がいるため、「希望出生率>出生率」という不等式が成り立つ。安倍内閣は2015年9月に打ち出した「アベノミクス新3本の矢」において、「子育て支援」を充実して希望出生率1.8の実現を目指すと発表した。2018年の出生率は1.43。

  • スウェーデンの郵便局

    スウェーデンの郵便事業は1994年に民営化される。これにより、街の郵便局のほとんどが姿を消した。postnordと呼ばれる民間企業が日本の郵便局にあたる。日本と違うのはスウェーデンでは郵便物の発送、配送などの窓口業務は町のコンビニ、ガソリンスタンド、もしくはスーパーマーケットなどで行う。自宅に配達されるのは手紙などの封書類のみで、郵便受けに入らないものは、窓口業務を行う店まで取りに行く仕組みになっている。

  • 1920年代の大不況

    1929年~’33年,過剰資本の投機取引の破綻を機として,米国から全資本主義諸国に波及した史上最大規模の世界恐慌。1929年ニューヨーク株式市場の大暴落に端を発し,閉鎖された銀行は1万行に及び,大量の失業者を生み出した。ヨーロッパをはじめ各国に波及し金本位制度も停止された。この危機は国家の介入によって収拾されるが,ブロック経済による自由貿易体制の分断が行われ,やがて第2次世界大戦への道が準備されていった。

  • 新自由経済主義

    需要を生み出すために減税や公共投資を行い経済発展を促すことが主流であったが、1970年代における経済停滞をきっかけに、世界全体で物価上昇を抑制するための金融政策への見直しが求められた。今までとは異なる「小さな政府」が推進され、公営事業の民営化、規制緩和などが主に行われ、競争志向を認める資本主義経済の形である。日本では主に中曽根内閣、小泉内閣の時代にこれに基づいた経済政策が実行された。

  • パクス・ブリタニカ時代の古典経済学

    主に18世紀後半から英国の学者たちによって発展させられた経済学の総称。始まりは産業革命に伴う社会変化からそれに応じた経済学が求められたことで、価値を作り出すのは人間の労働力だという考えが多くの古典派経済学者の考え方の基礎として存在した。この基礎はアダム・スミスの「国富とは消費財で、その消費財を作り出すのは労働力である」という考え。一時期は主流派だったが1870年代に誕生した新古典派経済学にその座を明け渡した。

  • 働き方改革

    少子高齢化が進むなかでも「50年後も人口1億人を維持し、職場・家庭・地域で誰しもが活躍できる社会」に向けた最大のチャレンジである。多様な働き方を可能とするとともに、中間層の厚みを増しつつ、格差の固定化を回避し、成長と分配の好循環を実現するため、働く人の立場・視点で取り組む。長時間労働の解消、非正規と正社員の格差是正、高齢者の就労促進が3つの柱として掲げられている。